「直江兼続と本多家」展 ― 2008年09月19日 23時58分06秒
台風が接近する中、石川県へ飛ぶ。目当ての藩老本多蔵品館の企画展示「直江兼続と本多家」を観るため。金沢市内で知人のKさんと合流、前田土佐守資料館、足軽屋敷等を案内していただく。
メインディッシュの藩老本多蔵品館。今回、直江兼続が本多家の使者に贈ったとされる新発見の「勝兜」を観ることができた。両サイドに突起があり、唐冠の纓(えい)と呼ばれる装飾があったのではないだろうか。対最上戦(十五里ヶ原の戦い)に勝利した際に本庄氏が着していたといういわれがあるそうだが、これは誤伝であろう。本庄氏の甲(刀傷付き)は現在、村上市の所蔵になっているし、藩老本多蔵品館の「勝兜」はどうみても儀礼用である。
興味深かったのは、直江兼続に仕えた与板衆篠井氏の系図。本多政重に従って加賀に移ったこと。また、本多政重と大国実頼娘(兼続養女)の子孫が加賀藩の学者青地礼幹につながっている点も驚きであった。
博物館見学のあとは、大乗寺の本多政重の墓所へ。直江兼続に仕えた与板衆篠井氏の墓所がこんなところにあったことにも驚いた。
野田山墓地で前田利家はじめ一族の墓所を見学している最中にゲリラ豪雨に見舞われる。
金沢駅でお茶を喫して、Kさんと別れ、七尾へ移動。
メインディッシュの藩老本多蔵品館。今回、直江兼続が本多家の使者に贈ったとされる新発見の「勝兜」を観ることができた。両サイドに突起があり、唐冠の纓(えい)と呼ばれる装飾があったのではないだろうか。対最上戦(十五里ヶ原の戦い)に勝利した際に本庄氏が着していたといういわれがあるそうだが、これは誤伝であろう。本庄氏の甲(刀傷付き)は現在、村上市の所蔵になっているし、藩老本多蔵品館の「勝兜」はどうみても儀礼用である。
興味深かったのは、直江兼続に仕えた与板衆篠井氏の系図。本多政重に従って加賀に移ったこと。また、本多政重と大国実頼娘(兼続養女)の子孫が加賀藩の学者青地礼幹につながっている点も驚きであった。
博物館見学のあとは、大乗寺の本多政重の墓所へ。直江兼続に仕えた与板衆篠井氏の墓所がこんなところにあったことにも驚いた。
野田山墓地で前田利家はじめ一族の墓所を見学している最中にゲリラ豪雨に見舞われる。
金沢駅でお茶を喫して、Kさんと別れ、七尾へ移動。
コメント
_ 下総介 ― 2010年03月05日 23時34分06秒
すみません。金沢にいく際に参考させていただきました。ありがとうございました。ただ、篠井家墓所はどちらにあるのでしょうか?篠井家の菩提寺は真行寺さんでそちらには古い墓所はありませんでした。篠井家墓所はどちらをさしているのでしょうか?
_ 庵主 ― 2010年03月06日 09時10分20秒
ご訪問ありがとうございます。
車で案内される立場だったので、うろおぼえでもあるのですが、篠井家の墓は、大乗寺だったと思います。墓地のはずれのほうに(暗かったので印象が違うかもしれませんが)赤みがかった墓石がありました。
車で案内される立場だったので、うろおぼえでもあるのですが、篠井家の墓は、大乗寺だったと思います。墓地のはずれのほうに(暗かったので印象が違うかもしれませんが)赤みがかった墓石がありました。
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